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いやあ、これは見始めると止まらない。
昔の力士は個性的な力士が多くて楽しいですね。幼少期を思い出します。
増位山の内掛けは芸術!
この時代の相撲は個性派揃いで攻防が面白かったですね😊北の湖の全盛期ですね。
富士櫻の相撲はいつ見ても気持ちいいね👍勝った時は勿論負けても気持ちがいい相撲ってなかなかない☺️
ねっとりした「のこったのこった~」が好きです。
この時の大相撲は❤️一番良かった楽しかった😁私は、輪島さんが、大好き😘
僕も輪島の大ファンでした黄金の左😁強かった横綱 でしたよね👌
貴方様のおっしゃる通りですね!富士桜関の相撲は見ていて気持ちの良い物がありました。
横綱による連続優勝が続いていた時の「大相撲充実期」でしたね、この頃は。でも円熟期に入った輪島関はこの間優勝2回、1978年に年間78勝するなど安定していた若乃花関は3回と、全盛時代の北の湖関(この間8回優勝)が抜群の強さを見せていました。そんな中、31歳にして横綱に昇進した三重ノ海関が2回優勝したのには、当時小学生だった私は驚きました。特に、1979年九州場所に4横綱全員皆勤の中堂々と優勝したのが印象に強くあります。大関貴ノ花関の精一杯の土俵もよく覚えています。高見山関との名勝負はお見事でした。動画終盤、千代の富士関や隆の里関、琴風関に朝潮関など、新興勢力が台頭してきます。世代交代の波が来ている事が垣間見られますね。素晴らしい編集です。配信ありがとうございます。
増位山の内掛けスゲエ!
24代式守伊之助さんの所作が好きでした。
昭和53年は北の湖にとって一番の安定期。見ていて安心感があった。
この頃の、三役格の行司さんたちの立ち位置は素晴らしいですね……。今は皆無の、水入り相撲。あんこ力士が少なく、力相撲が多いですねェ……。
今の相撲見てるよりこっちの方が面白いし身体に力が入っちゃいましたよ。今の力士さんやっぱ大きすぎですよね。富士櫻関いいなぁ✨
解説神風の名調子。
とても懐かしいでし!昔の良き頃の相撲だったでし!
麒麟児、富士桜、黒姫山、個性的なツッパリ力士が好きでした、黒姫山は右四つでも取れましたね。
三重ノ海、相撲上手いなぁ。輪島と栃赤城はとにかく半身ですね。ありがとうございます、堪能しました〜!
全ての力士が個性豊かでめちゃ面白いです🎉増位山さんの鮮やかな足技☘️半身からの難しい体勢でも··凄い
北の湖と輪島の対戦は何時も楽しみだった北の湖は完全にヒ-ル役だったなぁ俺は北の湖のファンだったけど小学生から中学生までが一番相撲をよく見てたよ蔵間さんは荒勢さんと共に相撲界からタレントになった先駆け的な存在だった。しかし、行事の声が懐かしいこの頃の行事は声に味がある「のこった、のこったのこのこ」って子供の頃言ってたの思い出した
土俵に根っこのようにくっついている昭和の相撲。これぞ相撲の醍醐味だよなぁ。
懐かしの大相撲有難うございます😊
北の湖の懸賞貰う際の所作が格好ええ!
北の湖さんの巻きかえの巧妙さ
この頃の相撲は、がっぷり四つの大相撲が多かった。回し待ったとか水入りの相撲とか見応えがあった。
栃赤城、黒姫山、富士櫻、麒麟児....懐かしいなぁ。そしてなんといっても増位山の内掛け!子どもの頃カッコよくて憧れてましたわ。
突貫小僧富士桜、デコイチ黒姫山、サーカス相撲栃赤城、などなど個性豊かな関取が居ました。懐かしい、
千代の富士の相撲の取り口を見ていると色んなことに気づくよね。場所を追うごとに強さが増していくのはもちろん、スリムだった体つきがだんだんマッチョな体に進化していく様子も見ていて楽しい。そう、昭和53年頃は昭和の技のデパートという印象があったのだが、昭和55年秋場所あたりからは、安定感も増して「綱への階段を登る!」そんな内容に変わってきてる。当時の大関や三役陣はみんな活気があったよ!今の大関、三役陣に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいです。
増位山の右足を見てるだけで面白い
内掛けみたいな技をこんなに決められる力士は他には見た事ないですね。😃
大砲って、この手のアーカイブの色んな時代の取組みに顔を出してますよね😊輪島や増位山と対戦していた力士が、貴乃花や曙、琴の若や小城錦なんかとも対戦している😮
千代の富士の吊り落とし!これが観たかったので感激です!当時、私は敗れた琴若の大ファンで...後にも先にもファンレターを送った唯一の人が琴若関です!
今探しているのは富士桜-黒姫山戦激しい突きあいでどちらが勝ったか記憶がないけど、そのあと揃ってインタビュールームに呼ばれ当時の関取には珍しく、ニコニコ熱戦を語っていたのが印象に残っています。
たくさんの素晴らしい試合、ありがとう!
懐かしい取り組みばかりで思わず興奮しました。
すごく懐かしいいいね
力士、行司、実況、解説すべてが素晴らしい
輪島関ってこんなにもカッコいい力士だったのか
北の湖強いな!当時の相撲は熱戦が多いな!千代の富士の筋肉が凄すぎる!
ライオン
19:40 😅
富士桜と麒麟児の、突っ張り合いが面白かった❗ 輪島vs北の湖の全勝対決が見ものだったねぇ
曲者ぞろいで面白い。今の相撲は淡泊に感じるよ。
この動画で酒が何杯でも飲めてしまう
1時間で8000升は飲みますよね。
北の湖-輪島の全勝対決も水入りの熱戦。素晴らしい取り組みでした
0:03お~っと出ました‼️突貫オヤジ‼️
貴ノ花ファンの僕としては、昭和55年秋の朝汐を寄り倒した一番、大関同士増位山を吊りだした相撲が良かった❗でも、この頃夢中で見てたので、全部懐かしい❗
同じく初代貴ノ花ファンの自分は、あの細い身体で自分より上背、体重のある相手でも軽々と吊り上げるとこには特にシビレてました。昭和49年名古屋場所、横綱挑戦のこの場所初日から11連勝の大関北の湖に初黒星をつけたのはカド番大関貴ノ花で、吊り出しでした。
蔵間、懐かしい・・・
引退した後もタレントとして活躍してましたね。優勝予想がちっとも当たらないとか。白血病で42歳の若さで他界されたのが残念・・・
あまりにも早すぎたよなあ蔵間さん(´・_・`)
やはり北の湖VS輪島ですね。右上手を取った北の湖に対して輪島は強烈な右からしぼりで堪えるという毎回同じ戦い方でした。今のお相撲さんは太り過ぎで腕力(かいなぢから)より自重で相手を押すだけの味気ないものになったので、いまの大相撲は全く見ていません。
この動画にはないがいつ頃か忘れたが大峩と富士桜戦 富士桜と大峩の激しい突き合いの相撲最後富士桜が押しだしで勝ったが富士桜が耳を押さえててた記憶があります
蔵王錦の実家は山形駅前でスナックを経営していた。行ってみたかった(笑)
55年九州場所のこれより三役、豪華な取り組みやな。
いいなぁ~よかったなぁ~横綱が横綱だった時代
この頃、会社が両国近くだったので、北の湖とすれ違っても、普通の人と思って違和感なかった。川俣軍司事件が有った時は、隣に増井山が野次馬として観てて、私と普通に会話してました。立て篭もった中華屋の目の前に、桜なべ屋があってよく飲みに行ってました。
増「位」山、ねw今はまた歌手に戻って悠々と暮らしていらっしゃる
千代の富士が躍進した年ですかね。この映像から平成まで相撲を続けられたのは千代の富士、朝潮(朝汐)、巨砲ぐらいかな?闘竜は平成時代には十両でした。
至高の大関貴ノ花
昭和天皇が富士桜のファンだったっていうのはよく分かる気がする。(^O^)
亡くなって方々に冥福
昭和33年から(職場の図書室に)ある某新聞の縮刷版の「ラテ欄」を見ると、ほぼ一日置きに、神風正一(昭和28年~61年)、玉の海梅吉(昭和32年~57年)の両氏が解説を務めていたと掲載されている。
富士桜が若乃花に勝った取組を枡席で観戦してた。確か若乃花が横綱になって初めての場所の初日だった。
富士桜さんや!突貫小僧と呼ばれてました。
ヒロの師匠
この頃が一番相撲にハマっていたかもしれないな。ちなみに小学6年生w
昨今の相撲より断然おもしろい❣️関係が有るかは分からないが、今徹底されてる立ち会いの手付き、必要なのかな?
この時代全く手付いてないよな
晩年の琴ケ濱の尾車審判は相当痩せてますね。体調思わしくない中、審判も務めていたのでしょうね。53歳で鬼籍に入るとは本当に残念です。
結びの一番後、板倉が写り込むのが良い^ ^
ソップ型の名力士が多い。一人ひとり相撲に個性がある。
25:26の黒姫山が睨みつけてるの怖いけど何か面白い
この頃、千代の富士と隆の里が後に横綱になるなんて全く思わなかった。
Сумо и сумоисты - ярчайший пример японской национальной идентичности и неповторимости.❤
9分くらいの三重の海対蔵間は、突き落としじゃなくて鯖折りだったのでは?見た覚えあるぞ。相手が前か斜め前に落ちる決まり方で、決まり手に困った時は、大抵突き落としにされてしまうな。
1978年名古屋場所14日目の北の湖vs輪島の全勝対決覚えております♥️現在(最近は14日目&千秋楽は全取組が終了してから割が組まれるやり方)ならば千秋楽全勝対決結びの1番で組まれていたと思います♥️14日目に組まれたのは、もったいない感じがしました✌️
富士桜はたしか横綱キラーだった印象がある
今の相撲も面白いけどね みんなガチンコだし
投稿有難うございます。53年ですか...大関大麒麟が出ませんが、まだ引退してませんよね?増井山の内がけ、元大関琴ガ浜以上ですね。輪島の半身、初代若乃花の天敵だった出羽ノ海の半身(なまくら四つなどと呼ばれていましたね)を思い起こします。もう60年も前の話...
大麒麟は昭和49年に引退しております
増井山→増位山琴ガ浜→琴ヶ濵出羽ノ海→出羽錦 半身となまくら四つは全く違う概念だし,出羽錦自身は左四つ琴ヶ濵,初代若乃花,出羽錦は主に昭和30年代,大麒麟は昭和40年代,増位山の大関時代は昭和55~56年。時代が全然異なる。この程度,もし覚えていなくてもwikipediaでも見れば全部載っていますよ。
@@nyobe6692 呼び名だけでどういう漢字をあてるのか、大して留意しませんでした。私の挙げた力士達の活躍した時代が異なるのは勿論で、同じ頃とは言ってませんよ。大麒麟はもうずっと以前に引退してたと。半身となまくら四つ、同じ事でしょう?要するに胸を合わせない四つ。頭を押し付けて更に胸合わせから遠ざかるのがなまくら四つですか?概念が違う?どう違うんですか?取り組み方法としてはがっちり胸を合わせるのを避ける、で概念は同じでは?
やはり昭和の土俵は美しい。翻って「白鵬時代」、我々は何を見せられていたのか?今更ながら腹立たしく思う。
Простите, сеньоры этот чемпионат, в каком году?
若乃花(Ⅱ)は、新横綱初日によりによって1番嫌な相手に当てられたんだな。
蔵馬ヤバいな。細いのに、めっちゃ足腰強そうだ!
ただ致命的に上位陣に勝てない。昭和にも魁聖のような関取がいた。
7:54 この薄っぺらい100kgに満たない小兵が、のちに大横綱になるなんて...
栃赤城こうしてみると宇良似てるな😮風貌も相撲も😅
前頭4枚目の千代の富士
55:57 筆之助ww
旭国なんて大関で14-1でも優勝できなかったのに今の大関と来たら・・って感じですね。このころは単なる巨漢の集まりでも無くて面白いです。
私、当時この旭国のファンでした。北の湖との優勝決定戦で破れてとうとう優勝旗を手にする事なく終わりましたね...
輪島とも優勝決定戦で旭国は負けたよ。あっけない優勝決定戦やったけど。でも旭国は相撲はホンマに上手かった力士でした✌️ピラニア。相撲博士と 言われてましたし✌️
だが、正直強い大関という印象はない。現役時代の無念を晴らすように弟子を横綱に育てたが、その弟子と仲たがいしてしまう。
若三杉こと二代目若乃花幹士の新横綱の初日は、今後を暗示しているかの様な一番です。横綱にはなりましたが未完の大器でした。
若乃花の出オチ感たるや
貴ノ花が闘竜と対戦したがその後息子2人とも対戦した
異能力士栃赤城
この時代で手を付いた立ち合いは高見山と千代の富士だけかな!現代相撲はガチンコで立ち合い手を付いて、頭で当たるからケガも多い!全くアーカイブは別物!
昔はほんと、中卒叩き上げの底力がすごかった
13:53力士の重量化もあるが、これを残せる力士は今はいないだろう
20:38
25:05 終盤に黒姫山と対戦とか、横綱大関以上に嫌だろうな北の湖は
しかし、黒姫山に対し対戦成績ではかなり開きが有ります。それだけ印象に残る相撲が有ったと言う事でしょうね。
相撲
北の湖、2場所連続で琴風戦で変化か。今だったらブーイングものか。
客席に殿山泰司がいるように見えるけど別人?
富士桜が最初つっかけて当たった時、若乃花がしりもちついたのを今でも覚えてます。若三杉の時の方が強かったw
関脇から大関に駆け上がっていく頃の若三杉には良い意味でのふてぶてしさ(差し伸べられた手をバチんとはねのけたり)が有りましたが、横綱若乃花になってから影を潜めた感じになりましたよね。
若三杉は私は関脇。大関の頃の方が強かった気が します。
全然手なんか着かない(笑)
大相撲において、立ち合いは「手を下ろす」事で成立します。「手を下ろす」と「手をつく」は明確に区別されているので、立ち合いとしては成立します。
北の湖vs金城って、確か対戦成績が北の湖の29勝0敗だっけ?
4:58
琴風自分で転んでったね。
1:13:41~ 土俵下まで吊り落とし!
貴ノ花内掛け食らいすぎて草
57:23
1:09:25
いやあ、これは見始めると止まらない。
昔の力士は個性的な力士が多くて楽しいですね。
幼少期を思い出します。
増位山の内掛けは芸術!
この時代の相撲は個性派揃いで攻防が面白かったですね😊
北の湖の全盛期ですね。
富士櫻の相撲はいつ見ても気持ちいいね👍勝った時は勿論負けても気持ちがいい相撲ってなかなかない☺️
ねっとりした「のこったのこった~」が好きです。
この時の大相撲は❤️一番良かった楽しかった😁私は、輪島さんが、大好き😘
僕も輪島の大ファンでした
黄金の左😁強かった横綱
でしたよね👌
貴方様のおっしゃる通りですね!富士桜関の相撲は見ていて気持ちの良い物がありました。
横綱による連続優勝が続いていた時の「大相撲充実期」でしたね、この頃は。でも円熟期に入った輪島関はこの間優勝2回、1978年に年間78勝するなど安定していた若乃花関は3回と、全盛時代の北の湖関(この間8回優勝)が抜群の強さを見せていました。そんな中、31歳にして横綱に昇進した三重ノ海関が2回優勝したのには、当時小学生だった私は驚きました。特に、1979年九州場所に4横綱全員皆勤の中堂々と優勝したのが印象に強くあります。
大関貴ノ花関の精一杯の土俵もよく覚えています。高見山関との名勝負はお見事でした。
動画終盤、千代の富士関や隆の里関、琴風関に朝潮関など、新興勢力が台頭してきます。世代交代の波が来ている事が垣間見られますね。素晴らしい編集です。配信ありがとうございます。
増位山の内掛けスゲエ!
24代式守伊之助さんの所作が好きでした。
昭和53年は北の湖にとって一番の安定期。見ていて安心感があった。
この頃の、三役格の行司さんたちの立ち位置は素晴らしいですね……。
今は皆無の、水入り相撲。あんこ力士が少なく、力相撲が多いですねェ……。
今の相撲見てるよりこっちの方が面白いし身体に力が入っちゃいましたよ。今の力士さんやっぱ大きすぎですよね。富士櫻関いいなぁ✨
解説神風の名調子。
とても懐かしいでし!昔の良き頃の相撲だったでし!
麒麟児、富士桜、黒姫山、個性的なツッパリ力士が好きでした、黒姫山は右四つでも取れましたね。
三重ノ海、相撲上手いなぁ。
輪島と栃赤城はとにかく半身ですね。
ありがとうございます、堪能しました〜!
全ての力士が個性豊かでめちゃ面白いです🎉増位山さんの鮮やかな足技☘️半身からの難しい体勢でも··凄い
北の湖と輪島の対戦は何時も楽しみだった
北の湖は完全にヒ-ル役だったなぁ俺は北の湖のファンだったけど
小学生から中学生までが一番相撲をよく見てたよ蔵間さんは荒勢さんと共に相撲界からタレントになった先駆け的な存在だった。しかし、行事の声が懐かしいこの頃の行事は声に味がある
「のこった、のこったのこのこ」って子供の頃言ってたの思い出した
土俵に根っこのようにくっついている昭和の相撲。
これぞ相撲の醍醐味だよなぁ。
懐かしの大相撲有難うございます😊
北の湖の懸賞貰う際の所作が格好ええ!
北の湖さんの巻きかえの巧妙さ
この頃の相撲は、がっぷり四つの大相撲が多かった。回し待ったとか水入りの相撲とか見応えがあった。
栃赤城、黒姫山、富士櫻、麒麟児....懐かしいなぁ。そしてなんといっても増位山の内掛け!子どもの頃カッコよくて憧れてましたわ。
突貫小僧富士桜、デコイチ黒姫山、サーカス相撲栃赤城、などなど個性豊かな関取が居ました。懐かしい、
千代の富士の相撲の取り口を見ていると色んなことに気づくよね。
場所を追うごとに強さが増していくのはもちろん、スリムだった体つきがだんだんマッチョな体に進化していく様子も見ていて楽しい。
そう、昭和53年頃は昭和の技のデパートという印象があったのだが、昭和55年秋場所あたりからは、安定感も増して「綱への階段を登る!」そんな内容に変わってきてる。
当時の大関や三役陣はみんな活気があったよ!
今の大関、三役陣に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいです。
増位山の右足を見てるだけで面白い
内掛けみたいな技をこんなに決められる力士は他には見た事ないですね。😃
大砲って、この手のアーカイブの色んな時代の取組みに顔を出してますよね😊
輪島や増位山と対戦していた力士が、貴乃花や曙、琴の若や小城錦なんかとも対戦している😮
千代の富士の吊り落とし!
これが観たかったので感激です!
当時、私は敗れた琴若の大ファンで...
後にも先にもファンレターを送った唯一の人が琴若関です!
今探しているのは富士桜-黒姫山戦
激しい突きあいでどちらが勝ったか記憶がないけど、そのあと揃ってインタビュールームに呼ばれ
当時の関取には珍しく、ニコニコ熱戦を語っていたのが印象に残っています。
たくさんの素晴らしい試合、ありがとう!
懐かしい取り組みばかりで
思わず興奮しました。
すごく懐かしい
いいね
力士、行司、実況、解説すべてが素晴らしい
輪島関ってこんなにもカッコいい力士だったのか
北の湖強いな!当時の相撲は熱戦が多いな!千代の富士の筋肉が凄すぎる!
ライオン
19:40 😅
富士桜と麒麟児の、突っ張り合いが面白かった❗ 輪島vs北の湖の全勝対決が見ものだったねぇ
曲者ぞろいで面白い。
今の相撲は淡泊に感じるよ。
この動画で酒が何杯でも飲めてしまう
1時間で8000升は飲みますよね。
北の湖-輪島の全勝対決も水入りの熱戦。素晴らしい取り組みでした
0:03お~っと出ました‼️突貫オヤジ‼️
貴ノ花ファンの僕としては、昭和55年秋の朝汐を寄り倒した一番、大関同士増位山を吊りだした相撲が良かった❗でも、この頃夢中で見てたので、全部懐かしい❗
同じく初代貴ノ花ファンの自分は、あの細い身体で自分より上背、体重のある相手でも軽々と吊り上げるとこには特にシビレてました。昭和49年名古屋場所、横綱挑戦のこの場所初日から11連勝の大関北の湖に初黒星をつけたのはカド番大関貴ノ花で、吊り出しでした。
蔵間、懐かしい・・・
引退した後もタレントとして活躍してましたね。優勝予想がちっとも当たらないとか。
白血病で42歳の若さで他界されたのが残念・・・
あまりにも早すぎたよなあ蔵間さん(´・_・`)
やはり北の湖VS輪島ですね。右上手を取った北の湖に対して輪島は強烈な右からしぼりで堪えるという毎回同じ戦い方でした。今のお相撲さんは太り過ぎで腕力(かいなぢから)より自重で相手を押すだけの味気ないものになったので、いまの大相撲は全く見ていません。
この動画にはないがいつ頃か忘れたが大峩と富士桜戦 富士桜と大峩の激しい突き合いの相撲最後富士桜が押しだしで勝ったが富士桜が耳を押さえててた記憶があります
蔵王錦の実家は山形駅前でスナックを経営していた。行ってみたかった(笑)
55年九州場所のこれより三役、豪華な取り組みやな。
いいなぁ~
よかったなぁ~
横綱が横綱だった時代
この頃、会社が両国近くだったので、北の湖とすれ違っても、普通の人と思って違和感なかった。
川俣軍司事件が有った時は、隣に増井山が野次馬として観てて、私と普通に会話してました。
立て篭もった中華屋の目の前に、桜なべ屋があってよく飲みに行ってました。
増「位」山、ねw
今はまた歌手に戻って悠々と暮らしていらっしゃる
千代の富士が躍進した年ですかね。
この映像から平成まで相撲を続けられたのは千代の富士、朝潮(朝汐)、巨砲ぐらいかな?
闘竜は平成時代には十両でした。
至高の大関貴ノ花
昭和天皇が富士桜のファンだったっていうのはよく分かる気がする。(^O^)
亡くなって方々に冥福
昭和33年から(職場の図書室に)ある某新聞の縮刷版の「ラテ欄」を見ると、ほぼ一日置きに、神風正一(昭和28年~61年)、玉の海梅吉(昭和32年~57年)の両氏が解説を務めていたと掲載されている。
富士桜が若乃花に勝った取組を枡席で観戦してた。確か若乃花が横綱になって初めての場所の初日だった。
富士桜さんや!
突貫小僧と呼ばれてました。
ヒロの師匠
この頃が一番相撲にハマっていたかもしれないな。ちなみに小学6年生w
昨今の相撲より断然おもしろい❣️
関係が有るかは分からないが、今徹底されてる立ち会いの手付き、必要なのかな?
この時代全く手付いてないよな
晩年の琴ケ濱の尾車審判は相当痩せてますね。
体調思わしくない中、審判も務めていたのでしょうね。53歳で鬼籍に入るとは本当に残念です。
結びの一番後、板倉が写り込むのが良い^ ^
ソップ型の名力士が多い。一人ひとり相撲に個性がある。
25:26の黒姫山が睨みつけてるの怖い
けど何か面白い
この頃、千代の富士と隆の里が後に横綱になるなんて全く思わなかった。
Сумо и сумоисты - ярчайший пример японской национальной идентичности и неповторимости.❤
9分くらいの三重の海対蔵間は、突き落としじゃなくて鯖折りだったのでは?
見た覚えあるぞ。
相手が前か斜め前に落ちる決まり方で、決まり手に困った時は、大抵突き落としにされてしまうな。
1978年名古屋場所14日目の北の湖vs輪島の全勝対決覚えております♥️現在(最近は14日目&千秋楽は全取組が終了してから割が組まれるやり方)ならば千秋楽全勝対決結びの1番で組まれていたと思います♥️14日目に組まれたのは、もったいない感じがしました✌️
富士桜はたしか横綱キラーだった印象がある
今の相撲も面白いけどね
みんなガチンコだし
投稿有難うございます。53年ですか...大関大麒麟が出ませんが、まだ引退してませんよね?増井山の
内がけ、元大関琴ガ浜以上ですね。輪島の半身、初代若乃花の天敵だった出羽ノ海の半身(なまくら
四つなどと呼ばれていましたね)を思い起こします。もう60年も前の話...
大麒麟は昭和49年に引退しております
増井山→増位山
琴ガ浜→琴ヶ濵
出羽ノ海→出羽錦 半身となまくら四つは全く違う概念だし,出羽錦自身は左四つ
琴ヶ濵,初代若乃花,出羽錦は主に昭和30年代,大麒麟は昭和40年代,増位山の大関時代は昭和55~56年。時代が全然異なる。
この程度,もし覚えていなくてもwikipediaでも見れば全部載っていますよ。
@@nyobe6692 呼び名だけでどういう漢字をあてるのか、大して留意しませんでした。私の挙げた力士達の
活躍した時代が異なるのは勿論で、同じ頃とは言ってませんよ。大麒麟はもうずっと以前に引退してたと。
半身となまくら四つ、同じ事でしょう?要するに胸を合わせない四つ。頭を押し付けて更に胸合わせから
遠ざかるのがなまくら四つですか?概念が違う?どう違うんですか?取り組み方法としてはがっちり胸を
合わせるのを避ける、で概念は同じでは?
やはり昭和の土俵は美しい。
翻って「白鵬時代」、我々は何を見せられていたのか?
今更ながら腹立たしく思う。
Простите, сеньоры этот чемпионат, в каком году?
若乃花(Ⅱ)は、新横綱初日によりによって1番嫌な相手に当てられたんだな。
蔵馬ヤバいな。
細いのに、めっちゃ足腰強そうだ!
ただ致命的に上位陣に勝てない。
昭和にも魁聖のような関取がいた。
7:54 この薄っぺらい100kgに満たない小兵が、のちに大横綱になるなんて...
栃赤城こうしてみると宇良似てるな😮風貌も相撲も😅
前頭4枚目の千代の富士
55:57 筆之助ww
旭国なんて大関で14-1でも優勝できなかったのに今の大関と来たら・・って感じですね。このころは単なる巨漢の集まりでも無くて面白いです。
私、当時この旭国のファンでした。北の湖との優勝決定戦で破れてとうとう優勝旗を手にする事なく終わりましたね...
輪島とも優勝決定戦で旭国
は負けたよ。あっけない
優勝決定戦やったけど。
でも旭国は相撲はホンマに
上手かった力士でした✌️
ピラニア。相撲博士と
言われてましたし✌️
だが、正直強い大関という印象はない。
現役時代の無念を晴らすように弟子を横綱に育てたが、その弟子と仲たがいしてしまう。
若三杉こと二代目若乃花幹士の新横綱の初日は、今後を暗示しているかの様な一番です。横綱にはなりましたが未完の大器でした。
若乃花の出オチ感たるや
貴ノ花が闘竜と対戦したがその後息子2人とも対戦した
異能力士栃赤城
この時代で手を付いた立ち合いは高見山と千代の富士だけかな!現代相撲はガチンコで立ち合い手を付いて、頭で当たるからケガも多い!全くアーカイブは別物!
昔はほんと、中卒叩き上げの底力がすごかった
13:53力士の重量化もあるが、これを残せる力士は今はいないだろう
20:38
25:05 終盤に黒姫山と対戦とか、横綱大関以上に嫌だろうな北の湖は
しかし、黒姫山に対し対戦成績ではかなり開きが有ります。それだけ印象に残る相撲が有ったと言う事でしょうね。
相撲
北の湖、2場所連続で琴風戦で変化か。今だったらブーイングものか。
客席に殿山泰司がいるように見えるけど別人?
富士桜が最初つっかけて当たった時、若乃花がしりもちついたのを今でも覚えてます。
若三杉の時の方が強かったw
関脇から大関に駆け上がっていく頃の若三杉には良い意味でのふてぶてしさ(差し伸べられた手をバチんとはねのけたり)が有りましたが、横綱若乃花になってから影を潜めた感じになりましたよね。
若三杉は私は関脇。大関
の頃の方が強かった気が
します。
全然手なんか着かない(笑)
大相撲において、立ち合いは「手を下ろす」事で成立します。「手を下ろす」と「手をつく」は明確に区別されているので、立ち合いとしては成立します。
北の湖vs金城って、確か対戦成績が北の湖の29勝0敗だっけ?
4:58
琴風自分で転んでったね。
1:13:41~ 土俵下まで吊り落とし!
貴ノ花内掛け食らいすぎて草
57:23
1:09:25